みなさんこんにちは。
この間、テレビのニュースを見ていたらどこかの小学校の給食の風景が出ていたんですね。
僕が小学校のころとは違って今風と言うか、見た目でも美味しそうなメニューでビックリしました。
その時のメニューは洋風のハンバーグにオシャレなデザートが付いていましたが、やはり当然のように牛乳も付いていました。
- 小学校時代の給食は「完食指導」と言う名のトラウマに
- 小学校の給食に牛乳はおかしい…と言えない風潮
- 理解されにくい会食恐怖症
- 給食に牛乳を出すのはなぜ?昔からそうだから
- 完食指導はなぜ起きる?
- さいごに
小学校時代の給食は「完食指導」と言う名のトラウマに
実は僕は牛乳が苦手で今でも好んで飲むことはありません。
僕が小学校の頃は絶対に給食を残したらいけないという謎のルールがあって、食べきれないと全員がお昼休みに遊びに行けない連帯責任を負わせるクラスがあったり、食べれきれない子だけ残って泣きながら完食させるクラスなど地獄のような決め事がありました。
これは先生によっても対応が違っていて、特に男性教師の方が厳しめだった気がします。女性教師でも当時高齢な先生は何かと
”もったいない”
が口癖で完食させようとするものだから、小食な子供たちにとって本来和気あいあいとするはずの給食の時間は絶望的に嫌な時間でもありました。
そんな僕は牛乳が苦手だったことから、なかなか飲み切ることができず毎回給食の時間が憂鬱でもありました。
やっとの思いで飲み切っても大幅にお昼休みに食い込んでいて…
しかし、僕は同級生に恵まれていてクラスのわんぱくガキ大将的な男の子が毎回、僕が飲み切れなかった牛乳を先生が見ていない隙にサッと代わりに飲んでくれていたんです。
同窓会の時にその話題が出てくると、先生は本当は知っていたけど皆が同級生を助ける姿が嬉しかったから見ないフリをしていたと教えてくれました。
小学校の給食に牛乳はおかしい…と言えない風潮
そんな少数派の先生も少しいたようですが、地獄のような完食ルールがあった中、どうしても納得できなかったのは牛乳でした。
百歩譲ってメニューが洋食系の時ならばいいとしても、ガッツリ和食の時にも牛乳が必ず付いていました。僕としてはお茶が良かったのですが飲み物は牛乳オンリーでしたね。
どうやら”カルシウムの摂取””骨粗しょう症予防””骨量”など成長期における栄養面での補完と言う意味で牛乳が必要なようです。
栄養面での補完と言う意味では納得できますが、世の中には僕のような牛乳が苦手な人もいますから、牛乳以外の選択肢があってもいいと思います。
理解されにくい会食恐怖症
今の世の中、昔のようにスパルタで学校給食の完食を先生に求められたら、速攻で炎上案件になると思いますが、嫌いな物や量の問題で食べきれずそれが理由でトラウマになったり、会食恐怖症や牛乳恐怖症になったりする人は少なからずいると思います。
今思えば、僕もちょっとした会食恐怖症になっていたような気がします。
一人で食べることは全く問題ないのですが、集団(と言いても数人レベル)でご飯を食べる時には変な緊張をして食事が喉を通らないことが時々ありました。
特に知らない人や、社会人になってから上司との食事は苦痛だった記憶があります。
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給食に牛乳を出すのはなぜ?昔からそうだから
変化を嫌う日本人特有のマインドに、昔からそうだからと変化しようとすると叩かれる風潮がありますよね。
”昔からそうだから”
例えば、法律には凄く前に作られて今では必要なのか?と思うものも沢山あります。
しかし、どうも日本人というのは”昔に作られたものは全ていい”というような発想があるような気がしていて、昔に作られたもの(法律・建物・近所つきあいetc)を変えることを許さない空気が半端じゃありません。
”良い物は残して弊害のある(今の時代にそぐわない)ものは変えていく”
この至極真っ当な考え方を当たり前のようにするべきだと思うんです。
完食指導はなぜ起きる?
では、なぜ完食指導が起きるのか?
先生と言われる指導する立場の人が、食に対する指導を受けることが少ないと言うデータがあるようです。
故に子どものころに自身が受けた教育(学校・家庭)が、そのまま学校での給食指導になっているのかもしれません。
つまり完食指導は、先生自身が経験したことの反映の可能性が非常に高いと言うこと。
完食指導、なぜ起きる? きゅうけん山口代表に聞いた【給食のいま@しずおか⑥】|あなたの静岡新聞
さいごに
昔と違って今の子供は朝食を抜いている(家庭環境により食べれない)子が多いというデータを以前に見たことがあるので、そう言った意味では栄養価の高い物を給食で食べさせてあげるのは良いことだと思います。
しかし、そろそろ何かしらの選択肢を提供してもいいんじゃないとも思っています。
牛乳が苦手という子供は少ないかもしれませんが、その少ない子供たちは悲鳴にも近いヘルプを求めているかもしれません。