当サイトには広告が含まれている記事があります

泣いた赤鬼のあらすじから見る青鬼の自己犠牲と青鬼のその後が気になる

みなさんこんにちは。

 

小さな子どもの時に両親や幼稚園などで絵本の読み聞かせをしてもらったことがある人は多いと思います。

 

僕の両親は絵本の読み聞かせをすることに力を注いでいて、子どもの僕に毎晩寝る前には母親が必ず一冊の絵本を読んでくれていました。

 

今思うと両親は共働きだったので毎日忙しいはずでしたが、必ず読んでくれていたので両親としては児童期における絵本や童話の重要性を感じていたんだろうと思います。

 

そんな僕は夜になるのが楽しみでお気に入りの絵本を探しては読んでもらい、寝る前に母親から聞く絵本の世界にどっぷりと浸かる毎日でした。

 

そんな数ある絵本の中で僕が好きだった一冊に

 

”泣いた赤鬼”があります。

 

今回は、そんな泣いた赤鬼についてお話ししたいと思います。

 

スポンサーリンク

 

 

泣いた赤鬼は不屈の名作

みなさん知っていると思いますが、ここでは泣いた赤鬼について少し紹介したいと思います。

 

この作品は日本児童文学を代表される浜田廣介さんによって書かれた童話です。

 

 

赤鬼と友人の青鬼にまつわるお話しですが、数ある児童文学作品の中でも個人的には名作中の名作だと思っています。

 

泣いた赤鬼のあらすじ

内容を簡単に説明すると人間と仲良くなりたい赤鬼が人間と仲良くすることに失敗して親友の青鬼に相談します。そこで青鬼が考えた作戦は、自分が人間の村で暴れるから自分を追い払えば赤鬼は人間のヒーローになれるというもの。

 

この作戦通り青鬼は村で暴れて人間に悪さをし、そこに登場した赤鬼が青鬼を懲らしめて村のみんなのヒーローに。念願叶った赤鬼は人間と仲良くなりますが、それ以降青鬼は赤鬼の前に現れなくなりました。

 

心配して青鬼の家に行ってみると張り紙があり、その内容は

 

 

”しばらく会えないです、会っている所を村の人に見られると赤鬼が疑われてしまう。さようなら、体を大事にしてください。どこまでも君の友達 青鬼”

 

それを読んだ赤鬼は涙を流すのです。

 

 

泣いた赤鬼を読んだ当時の感想

子どものころの僕は村人と仲良くなった赤鬼の夢がかなって良かったね。という気持が先行していましたが、次第に青鬼のその後が気になって仕方が無かったことを憶えています。

 

小さな子どもでも分かった青鬼の自己犠牲感。

 

一方の幸せのために他方が犠牲になってもいいのだろうか?という疑問。

 

 

何で青鬼は自らを犠牲にして赤鬼を助けたんだろう?ずっとこの疑問は大人になるまで僕の心の中にずっと解決しないまま残っていました。

 

自己犠牲と言う青鬼のプロデュース

プラン作成図

 

青鬼が考えた作戦はいたって簡単で、悪い鬼を優しい鬼が退治するということ。

 

 

もちろん想像でしかありませんが、きっと他にも悪役をする候補の鬼はいたんだと思います。しかし、その悪い鬼役を親友である青鬼自身が演じるのは、純粋に赤鬼の気持ちを一番理解しているからであって、その方がよりリアリティを出せると判断したんだと思います。

 

下手に他の鬼にやらせるよりは、事を理解している自分が適役だと。

 

つまり、自己犠牲をすることでことが全て上手くいくと考えたのでは。

 

 

赤鬼の気持ちを分かっている青鬼だからこそ迫真の演技で村で暴れ、想像ですが人には危害を与えていないと思うんですよね。

 

なぜならば、人間に危害を加えたくないと赤鬼が思っていることを一番知っているのは青鬼ですから。

 

人間と仲良くなりたいと思っている赤鬼の気持ちと、人間にとって脅威だと思っている鬼が仲良くなる最善の方法を考え出したのが、全てを俯瞰して見ることができた青鬼なんです。

 

青鬼のその後が気になる

村人と仲良くなった赤鬼のために赤鬼の前から姿を隠した青鬼ですが、その後はどうなったんでしょうか?

 

その後のお話しがあれば是非読んでみたいのですが、実際にはありません。

 

想像でしかありませんが、きっと青鬼は赤鬼と人間が住んでいる場所から遠く離れて一人で暮らしているんだと思います。

 

本のタイトルである泣いた赤鬼ですが、実際は住処を離れる時の青鬼も涙していたに違いありません。それは悔しさから出る涙ではなくて、親友の赤鬼が人間と仲良く暮らしていける嬉しさと、二度と親友である赤鬼に会えない寂しさからです。

 

それでも、青鬼は元気で暮らしているのだろうか?と心配になってしまいます。

 

泣いた赤鬼が伝えたいこととは

登山を手助けする男性

 

この泣いた赤鬼という絵本の伝えたいことは沢山あると思うのですが、きっと親友などに対して見返りを求めない友情が最も伝えたいことなのではないかと。

 

もちろん、青鬼も赤鬼も同じ環境で村人と仲良く暮らせれば良いのですが、鬼と人間と言う関係性を考えると友達である赤鬼の希望を叶えてあげるには、自分(青鬼)が犠牲になるのが最適と判断したんだと思ってます。

 

いわゆる”自己犠牲”と言う言葉は崇高な響きだと思いますが、村人と仲良くなった赤鬼はずっと複雑な心境だったに違いありません。

 

誰かの幸せの裏に誰かの犠牲があるって言うのは

 

”美しい物なのか?”

 

それも問われているような気がしています。

 

泣いた赤鬼の読み聞かせは子供にとって将来役に立つ

古くから伝えられている絵本や昔ばなしには何かしらの教訓であったり、人生の生き方などが書かれていることが多いです。

 

有名なグリム童話もそうですが、本当は残酷であったり人の汚い部分を表している作品も多くあります。

 

大人になった今思うことは、絵本は単に子供が読むためだけでなく、大人になった今だからこそ理解し学べることもあるのではないかと思います。

 

そう言った意味では、泣いた赤鬼は小さな子どもには少し難しいかもしれませんが、将来のことを考えると最適な読み聞かせの絵本かもしれません。

 

人生を変えるかもしれない絵本に触れてみませんか?

家庭環境や夫婦共働きなどの要因があって、なかなか難しいかもしれませんが、ぜひ時間をとって子どもには絵本を読んであげてもらいたいです。

 

ただ、実際どのような絵本を選んだらよいのか難しいですよね。

 

 

この記事を読まれている多くの人は大人と呼ばれている人たちだと思います。今回は泣いた赤鬼について考えてみましたが、ご自身が子どもの頃を思い出してみてください。

 

近年多くの新しい絵本が出版されていますが、昔からある絵本であれば少なくとも間違いないと個人的には思っています。

 

僕が子どもの頃は両親は共働きでしたが必ず母親が寝る前に一冊読んでくれていました。実家に帰るとこんなにあったの?とビックリするほどの絵本が未だに置いてあって暇を見つけては時々読んで懐かしんでいます。

 

さいごに

実は、実家の部屋を掃除してる時に偶然発見されたのがこの絵本でした。

 

 

多少古びてはいるものの当時と変わりない”泣いた赤鬼”が見つかったんです。懐かしく思い暫く読み更けていると自然と涙が出てきて…

 

大人の社会になると、やったもん勝ち・自分さえよければ良い等の言葉が普通にまかり通っています。

 

しかし、大人になってからこの泣いた赤鬼のことを考えると、自ら犠牲になった青鬼のことが心配で仕方がありません。また、犠牲になった青鬼はその後報われることがあるのだろうか?と考えてしまいます。

 

人のために努力しても報われないことが多い世の中ですが、何かそういったことと青鬼のことがリンクしてしまい妙に感傷的になってしまうのは僕だけでしょうか?

 

泣いた赤鬼は大人になって改めて読むことで見えなかったものが見えてくる一冊なので、機会があれば是非読んでみて下さい。

プライバシーポリシーお問い合わせサイトマップ